みんなのエッセイ
患者さんのエッセイを紹介

人との出会いが道を決める(前編)
―医師や仲間と歩み続けて掴んだ希望―

今回おはなしを聞いた方
ストーマ造設された大阪IBD 前会⻑  布谷 嘉浩 さん
布谷さんは、高校生のころクローン病を発症。その後治療を続けながら、難関資格である不動産鑑定士を取得されます。働きながら3度の手術を経て、人工肛門(ストーマ)を造設。現在は「自身の経験を役立てたい」と患者会活動に力を注がれています。今回は前編として、発症から手術に至るまでのお話を伺いました。

※このエッセイは患者さんへのインタビューをもとに作成しています。

両親が繋いだ主治医との出会い

『残念ながらクローン病っていう病気やわ。大変やけど、これから頑張ろうな。』
先生からその言葉を聞いた時のことを、今でも覚えています。本来、難病の名前を告げられると驚いたり落ち込んだりするものですが、私はホッとしました。

 高校生の頃、原因不明の微熱と腹痛が続きました。最初は「風邪が酷くなったかな」くらいに思っていたのですが、1~2年経っても回復せず、さすがにおかしいと思い複数の病院で検査をしました。しかし当時はまだ昭和、どこへ行っても病名は分からないまま。体調が悪い中どうして良いか分からず、家でじっとしている事しか出来ませんでした。そんな私の姿を見た両親は、必死に病気について調べてくれました。両親のお陰で出会えた先生に「クローン病」と診断されてから、長い治療の歩みが始まりました。

大部屋への入院が患者会活動の原点に

 診断をつけてくれた先生は炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎・クローン病)の専門医ではなかったので、本格的な治療にまでは至りませんでした。そんな中、話好きな両親は「うちの息子が大変や」と、親戚中に伝えていたらしいのです。「クローン病」というキーワードを覚えていた伯母づてに、専門医であるT先生と出会うことが出来ました。まだインターネットもなかった時代でしたから、本当に有り難かったです。

 その後、T先生から「入院して治療してみないか」と提案があり、専門病院での治療が始まりました。私が入院したのは6人部屋で、全員がクローン病患者でした。同じ年代・同じ病気ということで、すぐに意気投合し、病室では情報交換をしたり、当時主流だった経腸栄養剤による治療を行うときは互いに励ましあったりもしました。仲間がいることの大切さ・心強さを強く認識したこの入院体験が、後の患者会活動の原点になっています。当時同室だった仲間とは未だに繋がりがあるのですが、苦しみを共有して乗り越えた仲間は、自分にとっての人生の糧になっています。

病気をかかえながらも働くために。難関資格へのチャレンジ

 治療のお陰で少しずつ体調が戻ってきた私は、働くことを前向きに考えるようになりました。体調が悪かった大学時代、同級生が就職を決めていく中で、私は就職“活動”すら出来なかったのですが、その経験から「病気をかかえながら長く働く」ために、不動産鑑定士の取得に挑戦しました。難しい試験でしたが、3回目のチャレンジでなんとか合格に至りました。

 それまで勉強に心から打ち込んだことがなかったので、最初は苦労しました。しかし、続けていくと勉強の面白さを感じられるようになります。山を登るように自分で計画を立てて、登っていくうちに麓が見え、全体像が分かってくるのです。「ここまできたら合格できるかもしれないな」というレベルに到達すると、より勉強が楽しくなりました。

 もちろん、すべて計画通りに勉強できたわけではありません。1,2回目のチャレンジは残念ながら不合格でしたが、実はそのころ体調が悪く、勉強していてもなかなか頭に入りませんでした。そんな中でも試験に必要な資料の整理や文字起こしなど、今の自分に出来ること積み上げていました。さらに、3回目のチャレンジ前に経腸栄養剤による治療を開始したことで体調が安定し、しっかり勉強に取り組めたことが、合格へと繋がったのだと思います。勉強を続けるためには、体調の悪い時には無理をせず、でもしっかりゴールを見据えることが大切だと考えています。

3度の手術や多くの入院体験から学んだこと

 私は今までに開腹手術を3度経験しています。最初の手術は働きはじめて5、6年経った頃でした。微熱がだんだん高熱になり、腹痛も生じ、経腸栄養剤や症状を抑える薬を飲んだりはしていたのですが、体調が良い日が続くことが少なくなってしまいました。
『これは手術も選択肢として考えるべきやろね。』
T先生から伝えられたものの、実際に手術を受けるかどうかは、かなり悩みました。「手術しないと終わり」というわけではなかったですし、腸の一部を切り取ることの不安感はぬぐい切れません。しかし仕事を続ける中で、体調不良を誤魔化しきれず、手術を受けることを決意しました。

 この最初の手術からしばらくの間、体調は復活しましが、3年後に2度目の手術を受けることとなりました。そして、ほぼ10年寛解期維持が出来ましたが、3度目の手術を迎えることとなってしまいました。この時の患部は直腸で、炎症が治ってもケロイド状になり、硬くなった部位の影響で腸が狭くなり、便が貯められず、ひどい下痢が続いていました。そして、手術でのストーマの造設を決断しました。

 正直、ストーマには抵抗感があり、ぎりぎりまで決心がつきませんでした。しかし、2回の手術を経験しても酷い時には1日30回トイレに行っており、頭の中の8割はトイレを考える日々。どこにトイレがあるのか、いつ行けるのか、間に合わないんじゃないか・・・と、いつも不安と恐怖を抱えていたあの頃に比べると、現在のほうが快適に感じます。

 3度目の手術は12時間にも及んだそうです。当時はすでに患者会活動に携わっており、ストーマについては個人差が大きいということを聞いていました。手術が終わると、看護師さんから『べっぴんさんのストーマが出来ましたね。』と声をかけてもらい、とても嬉しかったことを覚えています。

 3度の開腹手術のほか、痔ろうの手術や検査も含めると入院の回数は2桁にのぼります。そんな私が入院する時に準備するのが、自作の持ち物リストです。経験をもとに「何が必要か」をあらかじめリスト化しておくことで忘れ物が減りますし、慌てることも少なくなります。私は旅行の時も同じようにリストを活用しています。

 また、リストは主治医に相談事や、少し込み入った話をする時にも便利です。あらかじめ聞きたいことや自分の症状、こういう薬を使っています、ということを箇条書きに書いて、診察時に先生へ渡しています。忙しい先生に出来るだけ正確に現在の状態を伝え、病状を把握してもらった方が、先生も治療の希望など様々な相談に応えやすいのではないでしょうか。医師のみならず医療従事者の皆さんと患者さんが、上手くコミュニケーションを取りながら二人三脚で治療を進めることが、とても大事なことと考えています。

次の患者さんへのメッセージ
 次回の後編は、ストーマ造設後の生活や患者会活動についてのエッセイです。
 ストーマでの生活の工夫や注意点など、これからストーマをつける方にとって参考になる話がお伝えできればと思っています。