みんなのエッセイ
患者さんのエッセイを紹介

病気と永く歩んできた道のり そしてこれからも

今回おはなしを聞いた方
埼玉IBD(患者会) 相談役 前田 秀樹さん
前田さんは、35歳のころ潰瘍性大腸炎を発症。病気と共に歩みながら、職場の第一線で活躍を続け、68歳で仕事をリタイアされました。そして現在も、多彩な趣味や患者会活動へ積極的に取り組まれています。

※このエッセイは患者さんへのインタビューをもとに作成しています。

潰瘍性大腸炎と診断されてからの心の変化

『この子たちが一人前になるまで、とにかく頑張るよ。』
35歳の時、潰瘍性大腸炎と診断された後の病室で、3歳と5歳の子どもを前に、不安げな妻へそう告げました。私の人生の最大目標が明確になった瞬間でした。

 潰瘍性大腸炎の発症前、私は技術系の会社人間でした。中学生のころから自作ラジオなどの電子工作を趣味として、電気街であった秋葉原にも通ったものです。そして大学は工学部の電気通信工学科に進み、コンピューターメーカーに就職しました。会社では、高速プリンターの開発に携わり、仕事が楽しく、家には眠りに帰るだけのような日々を過ごしていました。昭和の当時は、社会全体がこういう風潮でしたね。

 そんな仕事中心の生活の中、ある日から下痢と発熱を繰り返し、ついに血便まで生じてしまいます。1980年代は、インターネットも無く、潰瘍性大腸炎という病気は今ほど知られていませんでした。そして数軒目の病院で、ようやく診断が下り、すぐに入院となりました。病気に対する不安を感じる中、点滴だけの絶食は2ヶ月におよび、計4ヶ月の入院生活を送ることとなりました。この時の2ヶ月ぶりの食事の嬉しさ、風呂の気持ちよさは、今でも忘れられません。

 退院後は、悔いのない人生を送りたいと切実に思うようになりました。“チャレンジ”を合言葉に、もちろん仕事にも打ち込みながら、それまで軽視しがちであった家族との時間や自分の時間を大切に考え始めました。今思うと、充実した人生を歩むための一つの契機が潰瘍性大腸炎だったのかもしれません。

潰瘍性大腸炎をかかえながら仕事の責任を果たすために

 仕事に復帰後は、寛解状態を保ちながら職務を全うするために、処方されたお薬を絶対に飲み忘れないよう心がけていました。食事の面では、妻が和食を中心に煮物やポトフなど腸にやさしい献立を作ってくれたことと、それを子どもたちが何かを感じながらも一緒に食べ続けてくれたことには感謝しかありません。

 仕事復帰から約7年が経過したころ、日本はバブル経済の全盛期を迎えます。私も、お酒こそ控えていたものの、会食には数多く参加する機会がありました。それも一因なのか、42歳の時、潰瘍性大腸炎が再発します。

 『部長、私の入院は長くなります。今のプロジェクトの進捗状況や課題を早急にまとめますので、業務の分担についてご検討をお願いします。』
そのように告げて、申し送り書類の作成に全力を注ぎました。病気をかかえながら仕事をする上で、やはり周囲からの信頼が最も重要と考えます。入院などで同僚に助けてもらうこともありましたが、それだけに寛解期には日頃の協力に感謝し、約束事をしっかりと守り、努力する姿勢を示すことが大事なのではないでしょうか。

 2度目の退院後は、これまで以上に体調管理を注意しながら仕事に邁進しました。欧米への出張も多く、飛行機の中で座薬を入れたり、滞在先のホテルでは漢方薬を煎じてニオイを充満させてしまい、焦って換気したことも、今では良い思い出です。そうして完成した製品を、信頼できる仲間と笑顔で迎えるのは、技術者として最高のひとときでした。

 50歳での再燃時には、大腸全摘手術を受けました。仕事復帰後は、会社の保健師から月に一度、ヒアリングを行っていただき、必要に応じて会社と提携した医療機関を紹介されました。このような会社のサポートは心強く、安心して仕事に取り組むことができたため、より業務に集中できた記憶があります。

 一方、炎症性腸疾患の患者会において、病気の子どもを持つ親御さんから、子どもの就職について相談を受けることは少なくありません。親御さんの希望としては、体調を考えて無理をせずに済む職業につかせたい思いの方が多く感じます。私見ですが、炎症性腸疾患患者さんの就職にあたっては、患者さん自身のやりたい職業、目指したい職種を優先された方が良いのではないかと考えています。やりがいや目標を持って仕事をするためには、それだけ病気との上手な付き合い方が求められます。すなわち目標があるからこそ、病気の治療にも真摯に取り組めるのではないでしょうか。

 また、現在では潰瘍性大腸炎・クローン病などの難病患者さんが、治療と仕事の両立が図れるよう、行政・医療機関・企業による両立支援の取り組みも始まっています。病気をかかえながら仕事をすることは容易ではありませんが、こういった支援を利用しつつ、「働くこと」に前向きになって欲しいと願っています。

シニアになった今、潰瘍性大腸炎と共に人生を楽しむために

 仕事への没頭は、ある意味で病気のことを忘れる時間となりますが、趣味や友人と会う 楽しい時間を多く作ることも、病気と上手く付き合っていく上で重要ではないでしょうか。もちろん、一人一人それぞれで、体調が悪いときには誰にも会わず、落ち込むまで落ち込むことで回復される方もいらっしゃいます。

 私の場合、55歳からチェロを始め、アマチュアオーケストラに入団しました。病気のことはすっかり忘れて団員の皆さんと練習に励み、飲み会や合宿にも参加して音楽仲間と楽しい時間を過ごしました。60歳を過ぎて、市民ホールでの演奏会の舞台に初めて立てた時の感動は、今でも忘れません。その他にもテニスや語学、オーディオと幅広く楽しんでいます。定年後は、社会から切り離された思いをいだきがちですが、趣味などの面から友人を作ることができれば、そのような思いも軽減されると思います。

 とはいえ、シニアになってからの友人作りは難しいものです。そこで、病気を前向きにとらえ、地域の患者会に顔を出されてはいかがでしょうか。今はWebから全国の患者会に参加できます。若い方からシニアまで、幅広い患者さんが参加されており、お互い病気について語って、楽しい時間を共有できます。患者会へ一歩足を踏み出すことで、楽しい仲間に会えると思いますよ。

 私は35歳で潰瘍性大腸炎を発症してから、すでに約35年の月日が流れました。今では孫にも恵まれ、最初の入院の際に決意した「子どもたちを育て上げる」という目標は達成されたように感じます。そしてこれからも、潰瘍性大腸炎を契機としたチャレンジ精神は、現役のまま持ち続けていこうと思います。

次の患者さんへのメッセージ
 次回は、妊婦さんもしくは子育て中のお母さんのエッセイとのことです。
 まず妊婦さん、お子様が生まれるのが楽しみですね。炎症性腸疾患と付き合いながら、恋愛、結婚、そして妊娠と、その過程で色々な苦労があったことでしょう。もうすぐお母さんですね。可愛い赤ちゃんに会えますね。
 子育て中のお母さん、病気を抱えながら、妻や母親、家事を含むお仕事など多くの役割を担われていることに感服いたします。これまで患者会でお会いした育児中のお母さん達は、病気を抱えながらも育児や生活を楽しんでいらっしゃる方が多い印象でした。そのような、炎症性腸疾患と共に歩む育児の工夫や生活を明るくするためのポイントについて、これからお母さんになる患者さんに伝えていただければと思います。